手記を頂きました。
    (2003.10)
コメント 人工股関節手術後の日常生活指導について一言。
特に制限を設けず、やれる範囲のことを訓練によって拡大していく事はかまいません。個々の価値観が異なりますが、人生をどのように生きるかが大切です。


*はじめに
 私はデスクワークが中心の事務系のサラリーマンで58歳になる。
2001年2月に村瀬先生の執刀でTHAによる股関節手術をうけた。
そんな私が年来の山友達に誘われて上高地に行ったのは、この夏の事である。上高地は北アルプスの玄関口で年間60万にもが訪れる日本を代表する山岳景勝地である。
表向きは「誘われて」ということになっているが、実際は、術前、入院中、退院後を通して、彼と顔をあわせる度に私の方から「リハビリが一段落したら上高地に行こう」と申し入れていたのだ。その夢がいかにリハビリの励みになっていたかは計り知れない。今夏その念願がやっと実現したのである。
 河童橋から見える穂高も好きだが、田代池や大正池からの眺望も悪くないと思っている。再びこの地から直に穂高を診ることはないかもしれない、と諦めた事もあったが、今こうして、青空にくっきりと浮かび上がった、穂高連峰を眺める事が出来て万感の思いである。
 穂高を眺めるだけの目的ならば車やバスを利用すればいつでも来ることは出来る。だが、ある程度は自分の足で周辺を散策することが出来なければ意味がないと思い続けていた。そんな事もあって、この日を迎えるまでに2年半を費やしてしまった。
 今回は河童橋近くの小梨平のバンガローに宿泊した。河童橋を中心に大正池・田代池を散策し、奥上高地自然探勝路を利用して神秘的な明神池を訪れ、さらに井上靖の小説「氷壁」の舞台にもなった徳沢園から新村橋まで足を延ばした。
 2泊3日の行程で25kmほど歩いた計算になる。健常人ならどうという事もない距離ではあるが、THAを受けた身であれば、これはかなり勇気のいる行動であった。また、この文章を読んで眉をひそめる人も少なくないと思っているが、何かの参考になればと一文をしたためた。

*現在自分でしているリハビリ
 入院中でもそうであったが退院直後から今日に至るまで、とにかくよく歩いている。歩くこと、それが私のリハビリでもある。車椅子から松葉杖に移行して、自力で二足歩行が可能になった時、あれ程痛かった股関節が全く痛まない事に気が付いた。それを実感した時、痛みにさいなまれた10余年間を取り戻したいという一念が、むくむくと頭をもたげたのだった。
 現在も休日には近くの公園のジョギングコース(1周1,550m)をウォーキングで4周している。週休二日制なのでウォーキングも2日間連続することもあるが、最近は自重して土日の一方だけにしている。それは、人工股関節を長持ちさせる為には「出来るだけ歩かない方がいい。」これが呪文のように頭から離れないからだ。
 私は術前「股関節症」という疾患についても「THA」という術式についても、無関心というより全くの無知な状況にあった。退院後、あることをきっかけにして、主にインターネットを通じていろいろな角度からの情報や知識を得るようになった。身体障害者手帳(障害等級4級)を取得したのも、その影響があったからだ。
 特にTHAについては、これまで接してきたいかなる情報においても「日常の歩行を可能な限り減らす事が重要」とされていた。人工股関節はあくまで人工物であることから寿命(耐久性)を考慮しなければならないからだ。人工股関節の寿命は患者によって様々だと言われている。「患者の身体的条件、体重、活動度、手術中の人工股関節置換の正確度など、多くの要素が関係している」からだそうだ。「1日の許容歩数は5,000歩」と言い切っている医師もいる。可能な限り「おとなしく」していれば人工股関節の寿命を縮めることは無いからだろう。でもそれは、行動範囲を広げる目的で自家用車を購入していながら「走るとタイヤが減るから」と、ガレージに入れっぱなしになっている車と似てはいないだろうか。

*歩いての感想
 今回、上高地に行って感じたことは、「澄んだ空気」「小鳥のさえずり」「せせらぎの音」「土の感触」「目に青葉」「森林浴」「心地よい汗」「癒しと安らぎ」「マイナスイオン」「心身のリフレッシュ」「浩然の気を養う」等などのフレーズが、いまさらのように頭の中をよぎっていった事である。しかもこれらのものは、人が人として生きていく上で(特に都会に住んでいるものにとっては)手に入れようと願って止まないのもばかりなのだ。その願ってもないものが、都心から数時間の自然の中に身を委ねることで簡単に手に入るのだ。これを「ネイチャーウォーキング」というらしい。もちろん、そこが「山」でなければならない事はない。「海」でも「川」でも良いだろう。それは個々人の好みの問題だ。そう、好みだからこそ「効用」も倍加するのではないだろうか。例え、それを手に入れるために人工関節の消耗を早めたとしても、それを「等価交換」と考えては飛躍のし過ぎだろうか。そもそも、それを「価値観」と呼ぶのではないかと、私は思っている。

*終わりに
 今回の上高地行きは、その企画から実行までを通して、THAを受けた者として、自分なりにADLの改善を果たし、QOLを高めた生き方を検証するのに、もってこいの山行であったと思っている。